制作ねぶた
2018年
観光コンベンション協会会長賞
JRねぶた実行プロジェクト
風神 雷神
風が吹き、雲を呼ぶ。
たちまち黒雲たちこめて、稲光が走る。
風神と雷神は大地に恵みの雨をもたらす。
農作物に多大な被害を与える暴風を鎮めるため祀られた風神。
日照りや水不足で困り果てた時に雨神を呼び、多くの人々に信仰されている雷神。
青森県津軽地方の信仰の対象である岩木山では、毎年旧暦の八月一日までの三日間、豊かな実りの秋を祈願して人々が集団登拝するお山参詣が行われる。参拝者たちは、登山囃子が鳴り響く中「サイギ、サイギ」の掛け声に合わせ登拝する。
岩木山お山参詣を背に天上を舞う風神と雷神。この地球の異常気象を封じ、青森から世界の五穀豊穣を祈り奉るねぶた、ハレの出陣である。
マルハニチロ侫武多会
大海原の神 金毘羅 大権現
海上交通の守護神として、古くより漁師や船員などから、多くの信仰を集める金毘羅大権現。
またの名を薬師十二神将『宮比羅』。亥の神でもある。
荒れ狂う大波に巻き込まれ、風前のともし火の船乗りが祈る声を耳にした金毘羅大権現は、分身である巨大な黄金色のイノシシと共に荒海に姿を現した。宝剣を豪快に操り起こした神通力と、イノシシの強烈な勢いで怒る荒波を鎮め、ほどなく海は穏やかさを取り戻したのであった。
金刀比羅宮(通称 こんぴらさん)に直接お参りに来られない船乗りが、のぼりを立てた樽に酒や賽銭を入れて船から瀬戸内の海に流すと、地元の漁師が拾って代わりに奉納する『流し樽』の風習が今に残り、現代も厚く崇められる金毘羅大権現の姿に、海で繋がる世界が平和であると共に、『猪突猛進』亥のごとく、希望の未来に向かって邁進していく事を祈念するものである。
ねぶた大賞/
最優秀制作者賞
青森菱友会
岩木川 龍王 と武田 定清
青森県中泊町武田地区。十三湖にほどちかい岩木川下流に位置するこの地区は、昭和三十年まで武田村であった。
冠する「武田」の名は、その地の治水開拓に尽力した弘前藩士 武田源左衛門定清に由来するものである。
時は江戸、弘前藩中興の祖四代藩主信政公の世。新田開発や治水・灌漑工事に力を入れた信政公に、才覚ありと取り立てられたのが武田源左衛門定清である。
当時の岩木川は、自然そのままで、駒越川(現在の岩木川)と樋ノ口川(現在の弘前城西濠)の二本に分かれていた。
雪解けや大雨の度に氾濫を繰り返し、城下町や下流域を襲い、洪水に水害と猛威を奮い続ける脅威の存在であった。
そこで延宝二年(一六七四)、信政公は二十八歳の源左衛門を岩木川穿替工事の惣奉行に命じ、天和二年(一六八二)には樋ノ口川を留め切り、二本の川を一本にして岩木川とすること、また岩木川二十四里(約八十キロメートル)の堤防築造大工事と下流域の治水と新田開発の推進を申し付けた。
濁流となって暴れくる岩木川と対峙し、治水の陣頭指揮をとる源左衛門。すると、どこからともなく龍王が顕現し、その清らかな流れをもって濁流を制すると、しずしずと流れは収まっていった。
龍王の加護の元、源左衛門は信政公の期待に応え、岩木川治水工事を見事完遂。岩木川流域の土地と人々の生活を守ったのであった。
激しく荒れ狂う岩木川に挑む武田源左衛門定清と彼の者に清流の力を与えんとする龍王の姿である。