制作ねぶた
2025年

JRねぶた実行プロジェクト
入雲龍 風を呼ぶ

中国北宋末、好漢たちが権力に戦いを挑む物語『水滸伝』より。梁山泊(りょうざんぱく)に集う綺羅星の豪傑一〇八人のうちの一人。
姓が公孫、名は勝、別名を一清(いっせい)道人(どうじん)と号す。幼いころより武芸を好み、槍(そう)棒(ぼう)を使う。二仙山に住む仙人、羅(ら)真人(しんじん)の弟子となり、妖術を学び、道士となった。金色の翼をもつ応(おう)龍(りゅう)を従え、怪風を起こし、妖雨を呼ぶ。その妖術でたびたび梁山泊軍の危機を救った。付いたあだ名は「入雲龍」。
混沌とした世で悪を懲らしめ、風神を顕し新たな風を呼ぶ、入雲龍の勇姿である。
ねぶた制作/解説 竹浪 比呂央

マルハニチロ侫武多会
青森開港四〇〇年
善知鳥中納言安方と龍神

第十九代 允恭(いんぎょう)天皇の時代。
陸奥(むつの)国(くに) 外浜(そとがはま)の小さな村を治める善知鳥(うとう)中納言(ちゅうなごん)安方(やすかた)が、国の安泰を祈る海の守護神、宗像(むなかた)三女(さんじょ)神(しん)を祀(まつ)り創建した善知鳥(うとう)神社。永い間民衆の心の支えとなり、日々の暮らしを今も傍(そば)で見守り続けている。
弘前藩によりこの村に港が造られたのは今から四〇〇年前。開港から商業と漁業を中心に多くの人々が行き交う活気あふれる「みなとまち」に発展し、その後現在の青森市となった。
港と共に振興してきたこの街の姿も、悠久の時の流れの中で善知鳥神社は常に寄り添い見つめてきた。青森市発祥の地と言われる所以である。
ねぶたは、この神社に合(ごう)祀(し)される航海・漁業守護の神、龍神の背に乗った善知鳥中納言安方が、ともに開港四〇〇年を寿(ことほ)ぎ、青森港のさらなる飛躍と安寧そして青森市の繁栄を願いながら悠々と令和の海を進む姿である。
ねぶた制作/解説 手塚 茂樹

青森菱友会
海王

青森の町づくりは今から四〇〇年前に始まったとされている。青森がまだ外(そとの)浜(はま)と呼ばれていた寛永二年(一六二五)、時の弘前藩主津軽信枚(つがるのぶひら)が、津軽から江戸への廻船の就航を許可する連署(れんしょ)奉書(ほうしょ)を江戸幕府より拝領し、太平洋海運への参画が可能となったことで、拠点となる新たな港の建設と、海運業に対応できる商人の育成の必要に迫られてのことであった。この時、善知鳥宮から堤浦を中心とした地域に新たな港が築かれ、そこに広がる湊町として青森の町づくりが始まった。これが青森開港である。寛永三年(一六二六)には、信枚の命を受けた家臣の森山(もりやま)弥(や)七郎(しちろう)により、積極的な人寄せ、外浜中の商船の青森港への集中等の政策が進められ、海運業と商業の町としての礎が築かれていった。そして青森の町はその後も本州と北海道を結ぶ物流や人の往来を支える要所として栄え、明治三一年(一八九八)の市政施行により青森市となるのである。
青森開港から四〇〇年という節目の本年、海に育まれ発展してきた青森の歴史について改めて考えるとともに、更なる繁栄への願いを込めて、海の守護神ポセイドンの勇姿をねぶたで表現する。
ねぶた制作/解説 竹浪 比呂央

プロクレアねぶた実行プロジェクト
Nobunaga
〜天下創世(Creatio mundi)〜

織田(おだ)信長(のぶなが)。 16世紀末期、戦国時代〜安土桃山時代において、これまでの武将のイメージを覆(くつがえ)し新しい政治や経済、社会制度を導入し日本社会を大きく変容させ、天下統一の先駆けを成した史上最も有名な戦国大名である。
常識にとらわれない天才的な閃(ひらめ)きと予想外の行動力、類(たぐい)稀(まれ)なる先見性で経済の発展を促し、戦国時代の日本に革命をもたらしたパイオニア的存在である。
その信長は『人』『民衆』をよく見ていた。
敵、味方、身分の上下、出自(しゅつじ)にこだわらず人材を発掘し重用(ちょうよう)した。
また、民衆と一丸となって新田開発や街道整備、城下町の建設を進めると共に、盛大に相撲大会や祭りを開催するなど、その土地の賑わいを創出。『民の生活の安定』を重視し力を注いだ。
このねぶたは、信長が愛した陶磁器『曜(よう)変(へん)天目(てんもく)茶碗(ちゃわん)』を彷彿させる漆黒の輝きを放つ南蛮甲冑と、ポルトガル伝来の深紅のビロードマントを纏(まと)う信長が、この世の絶望の先にある輝く未来へ皆を導くために、天下統一への号令をかける姿である。
ねぶた制作/解説 野村 昂史